国民的漫画家として、さまざまな作品を世に送り出してきた高橋留美子(たかはし るみこ)さん。
『めぞん一刻』や『うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』などは、誰もが知っている作品でしょう。
これほど多くのヒット作を生み出した高橋留美子さんは、「天才」と呼ばれている漫画家です。
今回はそんな高橋留美子さんが天才と呼ばれるまでの道のりをまとめてみました。
目次
プロフィール
- 本名:高橋留美子
- 生年月日:1957年10月10日
- 血液型:A型
- 出身地:新潟県新潟市
- 最終学歴:日本女子大学文学部史学科卒業
高橋留美子さんのデビュー作は、1978年の週刊少年サンデー『勝手なやつら』です。
『勝手なやつら』は読切作品で、同年に『うる星やつら』が初連載作品となりました。
ふたりの兄の影響で少年漫画を幼少期から愛読していた
高橋留美子さんの実家は、新潟県新潟市にある産婦人科医院です。
両親と3人兄妹の5人家族で、高橋留美子さんは2男1女の末っ子として生まれています。
父・高橋光雄さんは医者としてだけでなく、俳人と画家としても活動していました。
2人の兄の影響で、高橋留美子さんは幼い頃から少年漫画を愛読し、自身も漫画を描くようになります。
3人の憧れの漫画家
高橋留美子さんは、憧れの漫画家を3人挙げています。
- ちばてつやさん(『あしたのジョー』など)
- 永井豪さん(『ハレンチ学園』『デビルマン』など)
- 池上遼一さん(『男組』など)
いかに少年漫画のとりこになっていたかが伝わってきます。
池上遼一さんに会うために漫画家になったと語ることもあったそうです。
高橋留美子さんの漫画愛が、後の活躍に繋がっていることが分かりますね。
天才になるまでの道のり
今では天才と呼ばれている高橋留美子さんですが、調べてみると本当に漫画漬けの人生を歩んでいることがわかりました。
高橋留美子さんの驚きの漫画家人生をご紹介します。
中学生の時点で漫画を投稿
高橋留美子さんは、兄の影響で幼少期から少年漫画を読み漁っていました。
中学生になると『週刊少年サンデー』や『月刊漫画ガロ』といった漫画雑誌に投稿を始めます。
1本描きあげるだけでも、ものすごい労力がかかるので、中学生とは思えない根性と集中力を持っていたのでしょう。
プロになってからも、高橋留美子さんは速筆で知られています。
『犬夜叉』連載時は、1ページを1時間で書き上げていたというエピソードもありました。
それでもクオリティが保たれているので驚きですよね。
超活発的だった高校・大学時代
高校・大学時代の高橋留美子さんは、同じく漫画家を目指す人達との交流を深めながら積極的に活動します。
高校在学中には、同級生の近藤ようこさんと一緒に漫画研究会を設立しました。
近藤ようこさんも後に漫画家として活躍する方です。
この頃から筒井康隆のSF小説などを愛読し、自身もSF作品を描くようになります。
高校卒業後は父の方針で地元を離れ、東京の大学に進学しました。
そして、日本女子大学で学びながら同人作家として活動し、漫画研究会「(没)」を設立します。
目白花子さんと共同で設立しており、ともに会誌『びびっと』で作品を発表しています。
目白花子さんも大学在学中に講談社からスカウトされ、漫画家としてデビューする実力者でした。
高橋留美子さんの周囲には才能あふれる仲間が集まっていたことが分かりますね。
また、高橋留美子さんには行動力と人望があることがうかがえます。
劇画村塾に入学
大学1年生の終わりには、「劇画村塾」という養成塾に入りました。
劇画村塾は『子連れ狼』や初期の『ゴルゴ13』の原作などを手がけた小池一夫さんが設立した、漫画家・漫画原作者の養成所です。
そこで高橋留美子さんは小池一夫さんの目に留まり、特別研修生として期待される存在となります。
小池一夫さんは高橋留美子さんに「お前はプロになれる」と声をかけたそうです。
この頃から、高橋留美子さんはプロに近い実力を持っていたのでしょう。
大学在学中にデビュー
1978年、大学在学中の高橋留美子さんは『勝手なやつら』で漫画家デビューを果たします。
『勝手なやつら』は第2回小学館新人コミック大賞で少年部門佳作を受賞しました。
その受賞作品として『勝手なやつら』が週刊少年サンデーに掲載されたことが、高橋留美子さんの漫画家デビューとなります。
このデビューに際して、当時の週刊少年サンデー編集長から「すごいのが来た、天才だ」と評価されていたそうです。
そして、初連載作品である『うる星やつら』が大ヒットします。
有名な漫画家でも初連載はパッとしなかったという話も多い中、高橋留美子さんは初連載作品がアニメ化までされているのです。
ここから高橋留美子さんの快進撃が始まっていきます。
数々のヒット作を世に送り出している
『勝手なやつら』でデビューし、『うる星やつら』を大ヒットさせた高橋留美子さんは次々にヒット作を生み出していきます。
- 1980年〜1987年『めぞん一刻』
- 1987年〜1996年『らんま1/2』
- 1996年〜2008年『犬夜叉』
- 2009年〜2017年『境界のRINNE』
- 2019年〜連載中『MAO』
現在連載中の『MAO』を除いて、高橋留美子さんは全ての連載作品がアニメ化されているのです。
さらに日本だけでなく、海外からも高橋留美子さんの作品は愛されています。
単行本世界累計発行部数が1995年には1億部を突破、2017年には2億部を突破しました。
ちなみに、スコットランドには『Urusei Yatsura』というロックバンドがありますが、バンド名の由来はもちろん『うる星やつら』です。
これからも多くの人に愛される作品が生み出されることへの期待が高まりますね。
2022年『うる星やつら』TVアニメ化決定
1978年に高橋留美子先生が世に出した『うる星やつら』が、2022年にTVアニメ化することが決まりました。
TVアニメ化決定にともない、高橋留美子さんはコメントを入れています。
コメントには、「すごく楽しみ」という言葉も入っていました。
TVアニメ化決定ということで、より一層「天才レベル」が上がったのではないでしょうか。
これからもさらなる天才エピソードが生まれてくることは間違いないと思います。
生きる伝説と言われる理由
高橋留美子さんは漫画界における数々の功績から、「生きる伝説」と言われています。
国内では2019年に「文化庁長官表彰」、2020年には「紫綬褒章」を受賞しました。
これらの他にも海外の賞を受賞しているので、ご紹介します。
インクポット賞を受賞したから
高橋留美子さんは1994年にアメリカの「インクポット賞」を受賞しています。
日本人では漫画家の手塚治虫さんや、スタジオジブリの宮崎駿さんなどが受賞した賞です。
高橋留美子さんが憧れの漫画家と挙げていた池上遼一さんも、翌1995年に受賞しています。
憧れの人より先に受賞してしまうあたりに、高橋留美子さんの成長の速さを感じますね。
ハーベイ賞で殿堂入りしたから
高橋留美子さんは2021年にアメリカの「ハーベイ賞」も受賞しています。
ハーベイ賞はアメリカのコミック業界では最古の、最も権威が高い賞です。
2022年には手塚治虫さんも同賞で殿堂入りをしました。
高橋留美子さんも次のような喜びのコメントを発表しています。
コメント中に『「漫画」を通じて皆様の交流できることがとても嬉しいです。』とありますが、漫画とは国境を超えた交流ができるコンテンツであることを実感させられます。
漫画によって世界をつなぐ架け橋として評価されたのも、受賞した理由の一つではないでしょうか。
世間の声
まとめ
高橋留美子さんが天才と呼ばれるまでの道のりについてご紹介しました。
今回の記事の内容をまとめると下記のようになります。
- 新潟県新潟市出身
- 実家は産婦人科医院で、両親と3人兄妹の5人家族
- 兄の影響で幼少期から少年漫画を愛読していた
- 中学生から漫画雑誌に作品を投稿し始めた
- 高校、大学時代は漫画研究会を設立
- 大学1年生の終わりに劇画村塾に入り、設立者の小池一夫さんに目をかけられる
- 1978年に『勝手なやつら』で漫画家デビュー、初連載の『うる星やつら』が大ヒットした
- 『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』『教会のRINNE』などヒットを連発し、現在は『MAO』を連載中
- 1994年に「インクポット賞」、2021年に「ハーベイ賞」を受賞し、生きる伝説と言われている
高橋留美子さんの深い漫画愛と、天才ぶりを感じさせるエピソードがたくさんありました。
これからも面白い作品を生み出しながら、漫画界にさらなる影響を与え続けてほしいと思います。