宮沢氷魚(ひお)さんは、2015年『MEN’S NON-NO』専属モデルオーディションでグランプリを獲得しデビュー。
モデル業だけでなく、近年俳優としても数々の作品に出演しています。
そんな宮沢氷魚さんの父親・宮沢和史さんのことをご存じですか?
若い世代の皆さんにはあまり馴染みがないかもしれませんが、実は非常に有名な方なのです。
今回は、宮沢氷魚さんの父親である宮沢和史さんについて徹底的に調べてみました。
一体どんな父親なのか、最後までぜひご覧ください。
宮沢氷魚の父・宮沢和史のプロフィール
- 名前 宮沢 和史(みやざわ かずふみ)
- 出身地 山梨県甲府市
- 生年月日 1966年1月18日生まれ
- 年齢 55歳(2022年1月現在)
- 身長 171cm
- 職業 シンガーソングライター
宮沢和史さんは音楽業界で活躍されています。
奥様は日本のタレントでラジオパーソナリティの光岡ディオンさんです。
そして息子の宮沢氷魚さんはモデル業・俳優業をされています。
親子3人で芸能界のお仕事をされていることが分かります。
父・宮沢和史の仕事での活躍について
宮沢和史さんは、元THE BOOMのメンバーとして活躍されていました。
また、同グループでの活躍と並行して、ソロ活動も積極的に行ってきた人です。
まず、THE BOOMとしての宮沢和史さんについて見ていきましょう。
THE BOOMは1989年に結成。代表曲である『島唄』をはじめ、25年間に渡り活動してきたグループです。
『島唄』は日本で150万枚を超える大ヒットとなりましたが、発売されて8年後の2001年にはアルゼンチンでも大流行となりました。
きっかけは、アルゼンチンのタレントであるアルフレッド・カセーロさんが『SHIMAUTA』としてカバーしたことです。
このカバー曲が同国で大人気となり、ワールドカップのアルゼンチン代表チーム公式サポートソングにも選ばれました。
その後も『島唄』は世界各国のミュージシャンにカバーされ、今でも愛され続けている楽曲の一つとなっています。
そんな人気グループでしたが、デビュー25周年を迎えた2014年、THE BOOMは惜しまれつつも解散となりました。
解散後、宮沢和史さんは「宮沢和史」として、現在も音楽活動を続けています。
「歌う」だけでなく「作家」として、多くのミュージシャンに楽曲を提供するなど幅広く活躍されているのです。
MISIAさんや夏川りみさんにも楽曲提供したことがあるみたいよ!
[/word_balloon]色んなアーティストと交流があるんだね。
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しかし2016年、突然の無期限活動休止を発表。その理由について、あるインタビュー記事ではこう書かれていました。
10年くらい前から首のヘルニアに苦しんでいたんです。無理をしながらなんとか活動していたんですが、その間にもいろいろ思うことがあって。(中略)
引用元:音楽活動休止の真意とは? “島唄”を生んだTHE BOOM・宮沢和史の、沖縄と共にある人生 | 特集 | RQ+(リューキュープラス) (rqplus.jp)
ひとりになって考えたのは、これから新しいことに挑戦していく上で、「歌手」という肩書を逃げ場にしていて、帰るべき場所を作ってしまうのは違うなと思ったんですよね。
だから、その肩書を外して、退路を絶って、自分を追い込んでみないといけないなと思って決意したんです。
これは、2016年に活動休止を発表した頃の宮沢和史さんの発言です。
一旦は活動を休止していましたが、2018年の秋に仕事を復帰した宮沢和史さん。
翌年2019年には全国ツアーやソロアルバムを発表するなど、音楽活動を再開することができました。
また、2022年2月には映画『ミラクルシティコザ』のインスパイアソングとして桐谷健太さんに楽曲をプロデュースしたり、NHKの番組「うたコン」に出演したりと、様々なメディアに登場しています。
このように、宮沢和史さんの活躍はTHE BOOMの時代に限らず、現在もなお続いていることが分かりました。
宮沢氷魚が芸能界入りしたのは父親がきっかけ
ここでは、そんな宮沢和史さんを父親に持つ宮沢氷魚さんがなぜ芸能界に入ったのか、調査しました。
宮沢氷魚さんが芸能界に興味を持ったのは中学3年生の時。
父親のライブを見に行ったことがきっかけでした。
これを機に、宮沢氷魚さんは芸能界入りを目指すことになったのです。
たくさんのファンやスタッフの人たちに支えてもらいながら、人前でパフォーマンスをすることの素晴らしさに感動し、芸能界に興味を持ち始めたそうです。
最終的に、宮沢氷魚さんが選んだ業界はモデル業と俳優業。
父親と同じ音楽業界を目指さなかった理由は、音楽でプロになるまでの情熱が持てなかったため、違う道に挑戦してみたいと思ったからだそうです。
人前でのパフォーマンスをするという意味においては音楽業と同じだといえるのではないでしょうか。
正に、宮沢氷魚さんが芸能界入りしたのは父・宮沢和史さんの影響が強いと言えるでしょう。
親子仲について
ご両親が芸能人という、一般家庭とは異なった環境で育った宮沢氷魚さん。
親子仲はどうだったのでしょうか?
調べたところ、宮沢氷魚さんは両親と仲が良く、子供の頃は反抗期もなかったそうです。
大人になってからは、ご両親は宮沢氷魚さんのお仕事に対して「謙虚な気持ちと自信を持つことの大切さ」をよくお話されているようです。
それに対して、宮沢氷魚さんは「生半可な気持ちではやってはいけないこと」を学んだと発言しています。
ご両親の助言をしっかり受け止めながらお仕事をされている姿勢から、親子仲の良さが見受けられます。
宮沢氷魚と父・宮沢和史に関する世間の声
お二人とも仕事に対して一生懸命な印象を受けましたが、世間からはどう思われているのでしょうか?
このように、宮沢氷魚さんの父親がTHE BOOMの宮沢和史さんであることを知らなかったという声がとても多かったです。
ちなみに、宮沢氷魚さんはモデルのオーディションを受けた際、父親が宮沢和史さんであることを黙っていたそうです。
父親の力ではなくご自身の力で掴み取った仕事だということが、世間の声からよく分かりますね。
私も最近まで、親子であることを知らなかったわ!
[/word_balloon]THE BOOM世代と宮沢氷魚世代で、会話が盛り上がりそう!
[/word_balloon]まとめ
今回は、宮沢氷魚さんの父・宮沢和史さんについてご紹介しました。
宮沢和史さんについてのまとめは下記のとおりです。
- 宮沢和史さんは、元THE BOOMのボーカリストだった
- 現在もソロで活躍中のミュージシャンである
- 息子の宮沢氷魚さんが芸能界入りしたきっかけは、父親のライブだった
- 親子仲は、父が息子に仕事の助言ができるくらい良好である
- 宮沢和史さんと宮沢氷魚さんが親子であることは、未だに浸透していない
今回の調査結果で、宮沢和史さんのことがよく分かっていただけたら幸いです。
宮沢和史さん・宮沢氷魚さん共に、今後も活躍の場を広げていくことは間違いないでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。