みなさんは織田信長という人物に対してどんなイメージでしょうか?
おそらく世間一般のイメージとしては「せっかち」「短気」「残虐」という悪いイメージではないでしょうか?
しかし、調べれば調べるほどものすごい人物だと気づきました!
今の時代にこんな人がいたらなと思うほど、その行動力、決断力に惚れてしまいます。
いったいどういうところがかっこいいのか?
今回は、織田信長のかっこいい5つのポイントをまとめてみました。
かっこいいポイント1:先頭に立って戦うところ
信長は戦国時代当時、勢力を誇り私腹を肥やす宗教勢力と対立していました。
その勢力と戦争になったときのかっこいいエピソードをご紹介します。
戦国時代、いつ命を落とすかわからない時代に、神仏の信仰はその当時の人々の心の拠り所でした。
なので、信者たちと戦になっても、「神様に歯向かったら、バチがあたるのではないか…」と、信長軍は戦いに消極的で士気も下がっていました。
そんな空気を変えるために、「神様が本当にいるのならば、ワシが天罰をうけるから大丈夫」と
信長はひとり敵の前に飛び出していったそうです。
もちろん敵は信長めがけて弓矢、鉄砲を放ち攻撃してきたそうよ。
[/word_balloon]でもなぜか信長には一発も弓矢、鉄砲は当たらなかったんだ!
[/word_balloon]これには信長軍の兵士も大いに士気が上がったそうです!
命を張ってでも軍の士気をあげようとした信長、かっこいいですよね!
かっこいいポイント2:ユーモアセンス
信長と言えば怖いイメージがありますが、とてもユーモアがある一面があります。
そのひとつに、自分の息子に対しての幼名があります。
当時、元服をするとそれまでの幼名から、新しい名前に変えていました。
なので信長は「元服したとき、カッコいい名前にすればいいだろう」と考え、子供たちの幼名はおそらく思い付きでつけたんではないかという名前になっているように思われます。
ここで何人か下記のようにご紹介します。
- 長男:信忠(幼名:奇妙)顔が奇妙だからという理由でそのまま幼名。
- 次男:信勝(幼名:茶筅)頭の産毛が茶道具でつかう茶筅に似ていた為。
- 三男:信孝(幼名:三七)三月七日生まれだった為。
- 四男:秀勝(幼名:次)はいっ次!っていうノリでしょうか?
- 八男:信吉(幼名:酌【しゃく】)生母の方がお鍋という方で「鍋には杓子」から命名。
- 九男:信貞(幼名:人)ひとと呼びます。やっつけ感が半端ないですね。
- 十男:信好(幼名:良好)良好、良好みたいな感じでしょうか?
これは絶対思い付きで名前決めているでしょう!
[/word_balloon]このユーモアあるところが、
信長をより身近に感じることができるね。
他にも、宗教勢力と争っている信長を諫める為、自分のことを「天台座主沙門信玄」と寺社代表を名乗った武田信玄に対して、神仏を信じない信長は「第六天の魔王信長」と名乗り、ブロックユーモアを交えて信玄に返信しています。
怖いだけはなく、こうしたユーモアセンスをもつ信長の人間性にとても魅力を感じますね。
かっこいいポイント3:秩序ある正規軍に統制したところ
織田信長は兵士の略奪行為を一切許さなかった為、織田軍は高いモラルによって統制されておりました。
織田信長が上洛する以前の京都では、昼間から略奪・強盗・辻斬りが横行していたのですが、いざ織田軍が駐留するようになると、それらの悪事を働く者は姿を潜めてしまったといいます。
戦国時代当時、軍隊は領民に恐れられていたそうね。
[/word_balloon]そうだね。当時、戦の混乱に乗じて略奪することは当たり前だったんだ。
[/word_balloon]軍略の天才武田信玄や上杉謙信でさえも、戦の際には自前の軍隊の士気を上げる為に、略奪行為を容認していたそうです。
しかし、信長軍は違いました。
信長は上洛の際、自分の配下の者に対し一銭であろうとも盗みを働いた者は打ち首にするというを出し、部下に徹底させました。
また「部下が悪さをしたならば、遠慮なく私に伝えてほしい」と自らの想いを語り、京都の民衆を安心させたそうです。
そこに住む人のことを安心して暮らせるように考える信長は、とてもかっこいいですよね!
かっこいいポイント4:工事においても合理的で早いところ
信長は工事においても、適材適所に人を配置することが本当に上手いです!
この話は当時キリスト教布教の為、訪れていた宣教師ルイス・フロイスの書簡に記されていました。
これによると、信長は通常2~3年かかるであろう工事を、ほぼ70日間で完成させたそうです!
信長は、この工事に約2万5千人を動員させ、各作業に監督を決めて効率よく作業させていたようです。
信長も現場監督として自ら鍬を持ち、大半の時間は手に竹を持って現場を指揮していたそうです。
この工事期間中、市の内外の寺が鐘を鳴らすことを禁止し、城中の鐘のみは作業の開始と終了を知らせる為に鳴らせました。
学校のチャイムみたいに鳴らしたのね!
[/word_balloon]労働時間が分かりやすくて、とても合理的だね(笑)
[/word_balloon]しかし、サボっている人間には容赦ありませんでした。
工事をしていた兵士が、見物に来ていた婦人の顔を見ようと、その被り物を上げようとしているのを信長が見つけ、その者を手打ちにしたそうです。
やるべきことに集中せずサボっていると、信長はイメージどおり怖いですね。
しかし、こうした規律をしっかりさせているからこそ、早く工事を終わらせることができたんですよね。
かっこいいポイント5:寺社の再建を援助するところ
信長は大小関係なく、非常に多くの寺社に対して、惜しみなく援助し保護をしています。
戦により、東大寺大仏殿をはじめ、多くの建造物が焼失してしまいました。
その再興の為、住職が歓進(今でいう募金活動)を行うようになりました。
その際、信長は募金活動を援助するために、「信長の領国で暮らす、すべての人々(身分の上下を問わず)から毎月一文ずつ寄付してもらうように」と朱印状をだしました。
朱印状とは朱印が押された公的文書(印判状)
で、許可書や命令書みたいなものね。
信長の朱印状付きだから、みんな募金を断れないよね(汗)。
[/word_balloon]当時の一文は今の価値でいうと30円~100円くらいなので、たとえ毎月であったとしても、誰にでも苦なく負担できる金額ですよね。
信長というと比叡山焼き討ちなど、仏教の破壊者のイメージがありますが、そうではありません!
信長が嫌ったのは、神仏をいいことに人々から金品を巻き上げ、富を溜め込むまで溜め込み、政治にまで介入してくるような宗教勢力です。
それ以外の真面目に活動している宗教勢力に対しては、このような朱印状を与えて保護したり、再建費や修繕費を惜しみなく与えて多くの寺院を保護しています。(伊勢神宮の再建も快く援助しています)
まとめ
今回は「信長のかっこいいポイント5つ」について以下の通り紹介しました。
- 先頭にたって戦うところ
- ユーモアセンス
- 秩序ある正規軍に統制したところ
- 工事においても合理的で早いところ
- 寺社の再建を援助するところ
ここで紹介した信長のかっこいいところはまだほんの一部でしかありません。
今回紹介したかっこいいポイントで、いかに信長は部下や民衆のことを考えていたかもわかると思います。
合理的でせっかちなところもあるとは思いますが、その中身はとても人間性に溢れ、身分に囚われずみんなが平和で幸せに暮らせる世の中を目指していたように私は感じます。
信長が印章として用いていた「天下布武」。
この「武」の意味は、本来戦いを止めるという意味です。
つまり、「武力によって天下を平定する」という意味ではくて、「戦のない天下泰平の世を創る」という意味なのです。
もし本能寺の変で亡くなっていなければ、誰もが幸せで且つもっと面白い日本に変えていたのかもしれませんね。
最後まで記事を読んで頂きありがとうございました。