漫才コンビ「海原千里・万里」でボケを担当し1970年代に人気を博した上沼恵美子さん。
2022年にセミリタイアを宣言し、テレビ・ラジオともにレギュラー番組は1本となりましたが、その一方でYouTubeチャンネルを開設し、トーク企画や料理企画などを配信し話題となっています。
そんな上沼恵美子さんの若い頃は「白雪姫」と呼ばれ、天地真理さんにそっくりの可愛さで周囲を魅了したそうです。
今回は上沼恵美子さんの若い頃と結婚前後について調査しました。
目次
上沼恵美子の若いころ画像10選
1977年5月に披露宴と記者会見を行った時の画像。
パッと見ただけでも「美人!」と思う顔立ちですよね。
こちらは歯を出して幸せそうに笑う姿が印象的です。
チャイナ風の衣装で漫才をする上沼恵美子さん。
衣装がよく似合っていて可愛さが増しています!
デビューした高校生の頃。
幼さの残るあどけない笑顔が可愛いですよね。
マルちゃんでおなじみの東洋水産のポスター画像。
白黒画像でも美人な容姿が伝わりますね。
漫才のネタで歌を歌っている画像。
顔よし、美声、面白い、三拍子揃った上沼恵美子さんでした。
歯を見せて最上級の笑顔!
芸人ならではのいろいろな表情見せてくれる姿も好感が持てます。
黒髪がつやつやで触りたくなる美髪!
フェイスラインがスッキリした横顔も素敵ですね。
上沼恵美子さんの若い頃の画像10選でした。
どの写真も素敵で魅力溢れていましたね!
上沼恵美子の若い頃はアイドルだった
上沼恵美子さんは漫才師として活躍する一方で、歌手としての才能も発揮し、アイドル並みの人気がありました。
なんと北島三郎さんから歌手に転向するよう声をかけられたこともあるそうです!
そんな上沼恵美子さんの歌声について調査しました。
歌がうますぎる小学生
上沼恵美子さんが小学生の頃から歌がうますぎると評判でした。
当時天才少女と呼ばれていた天童よしみさんとともに「のど自慢あらし」の異名をつけられたようです。
今や超大御所歌手の天童よしみさんとともに「のど自慢あらし」と呼ばれるのは、本当に歌がうまかったのでしょうね!
過去に天童よしみと対決していた
上沼恵美子さんは「ちびっこのどじまん」で何度も天童よしみさんと対決していました。
当時天才少女と呼ばれていた天童よしみさんに勝つことはなかったものの、上沼恵美子さんは「ちびっこのどじまん」で毎回準優勝していたそうです。
上沼恵美子さんは天童よしみさんがデビューする時に「私は歌をあきらめて、姉と漫才でやっていこうと思います。お互いがんばりましょう」と書いた手紙を書いたそうです。
天童よしみさんはその手紙をお守り代わりにずっと大事にしているようです。
ライバル関係が一転し、とてもほっこりするエピソードですよね。
北島三郎から歌手になるよう声がかかっていた
上沼恵美子さんは北島三郎さんから歌手になるよう声がかかっていたそうです。
ある日「海原千里・万里」として富山県で行われた北島三郎ショーの前座として登場した上沼恵美子さんは漫才の中で歌声を披露しました。
劇場の楽屋のテレビで漫才を見ていた北島三郎さんは舞台が終わった後、「もう辞めなさい。漫才辞めなさい。うちにおいで。北島のところで面倒見るよ」と、上沼恵美子さんの歌唱力を評価しスカウトしたそうです。
上沼恵美子さんは丁重に断り大阪に帰ったそうですが、その後も北島三郎さんの弟が大阪にわざわざ来て「北島の家から歌の学校に行きなさい」と強く勧められたそうです。
歌手への道は進みませんでしたが、大御所の北島三郎さんにスカウトされた上沼恵美子さんの歌唱力はダイヤモンドの原石だったのですね!
イヤイヤ姉とコンビを組み漫才の道へ
上沼恵美子さんは元々は歌手志望でしたが、父親に促されてイヤイヤ姉とコンビを組み漫才の道へ進んだそうです。
そんな上沼恵美子さんが漫才に進んだ経緯とデビュー当初について調査しました。
漫才師になったキッカケは姉の相方失踪事件
上沼恵美子さんが漫才師になったきっかけは姉の相方の失踪事件があったからだそうです。
2022年1月に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」で上沼恵美子さんは「父が大ファンで。お笑いの。姉のコンビがいてたんですよ。デビューもその方と決まってたんですけど、逃げちゃったんですね。それで突然父に『恵美子、お前行け』って言われて『エーッ』ってなって。もう凄く嫌でした」と話していました。
嘘みたいな本当の話ですが、結果として漫才師として大成功したのですからよかったですよね!
父の涙で漫才師になると決意
上沼恵美子さんは父の涙で漫才師になると決意したそうです。
2022年1月に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」で上沼恵美子さんは父親から姉の相方になれと言われて「人に笑われるなんて絶対嫌だ」と拒否したそうですが、母から翌日父が泣いていたと明かされると、「それだったら3年ぐらい父親に人生を渡してもいいかなと思って」とコンビ結成の秘話を話しました。
当時の上沼恵美子さんの年齢は14歳、14歳ながら父親のことを大切に思っていたのでしょうね。
中学生で漫才初舞台も嫌がらせの嵐
上沼恵美子さんは中学生で漫才初舞台も周囲の漫才師から嫌がらせを受けていたそうです。
2022年1月に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」で上沼恵美子さんは「劇場にいる芸人さん何だこれ、人間かっていうような人ばっかりです。その人たちがちょっと私可愛かったもんですから、いろいろ隠すんですね。うちの姉が眉ずみとか全部隠されてしまって、ないんです。仕方がないんで、姉はボールペンで眉を書いて出て行ったんですよ。お客さんからは分からないんですが、私が(笑って)ダメでして」と話しました。
さらに、上沼恵美子さんは「とにかくあの頃はいびられたり、嫌われてたわけじゃないんですけど、可愛いとダメでしたね。可愛かったんです。その中ではね。ひどかったです」と当時の嫌がらせの嵐を振り返っていました。
可愛くておもしろい上沼恵美子さんがうらやましくて、周囲の漫才師は僻んでいたのかもしれないですね。
アイドル並みの人気漫才師
上沼恵美子さんはアイドル並みの人気漫才師でした。
漫才が上手いことはことはもちろん、可愛いルックスが世間で高評価だったようです。
当時アイドル並みの人気を誇った上沼恵美子さんについてさらに詳しく調査しました。
デビュー当初から漫才が上手いと評判だった
上沼恵美子さんはデビュー当初から漫才が上手いと評判でした。
2020年11月に週刊ポストでオール巨人さんが「芸人人生で天才だと思う人が3人いて、その中の1人が上沼恵美子さん」と話していました。
さらに「上沼さんは中学卒業と同時に漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里としてデビューしているんですけど、そのときから漫才がめちゃくちゃうまかった。しかも、すっごいかわいくてね。大阪では、アイドル並みの人気だったんです。僕も大ファンで、デビュー前だったので、上沼さんが所属する事務所に入りたいと思ったくらい。」と話しています。
オール巨人さんに天才と言われるほど漫才の才能に長けていたのでしょうね!
漫才界の白雪姫といわれていた
上沼恵美子さんは天地真理さんそっくりの可愛さで漫才界の白雪姫と言われていました。
天地真理さん
出典:https://www.humax-cinema.co.jp
天地真理さんと比較しても「双子!?」と思うくらいに似ていてかわいいですよね。
上沼恵美子さんは肌も白いですし「白雪姫」は最高の誉め言葉でしょう!
ドラマや時代劇にも引っ張りだこ
上沼恵美子さんは漫才師として多忙な中、ドラマや時代劇も引っ張りだこ。
連続テレビ小説「鮎のうた」、時代劇ドラマ「銭形平次」など多数のドラマに出演していました。
漫才が上手いだけあって、演技する能力も高かったのでしょうね。
結婚を理由に引退
上沼恵美子さんは1977年5月22日にメディアプルポの代表取締役会長の上沼真平さんと結婚・挙式を上げました。
1977年7月7日に入籍し、上沼恵美子さんは結婚を理由に姉とコンビを解消し芸能界を引退しました。
実はお二人の結婚は家族からは反対されていたそうです…
反対される中でも結婚を強行したお二人の馴れ初めと反対された理由について調査しました。
二人の馴れ初め
1975年、上沼恵美子さんが20歳の時に出演した関西テレビ『日曜ドキドキパンチ』で、同局ディレクターの上沼真平さんと出会いました。
2023年9月に放送された日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン2時間SP」で上沼恵美子さんは「好きで好きで、死ぬほど好きで結婚してもらったんですね」と上沼真平さんと結婚した理由を話しています。
大恋愛の末の結婚なんてドラマチックですね!
両親の反対を押し切り結婚
上沼恵美子さんと上沼真平さんは両親の反対を押し切り結婚しました。
2021年7月に放送されたABCラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」で上沼恵美子さんは「私なんか結婚の時に上沼の家全員で、信州の全員。長野県ですから。お父さんもお母さんも。全員が(夫が)私と結婚するって言ったら皆気絶したんですよ」と告白しました。
さらに、「「何であんな子」って。「人笑わして、学歴もない。何やのあれようしゃべる。テレビで見とったら柄の悪いしゃべりしてるやんか。女の子のわりに。あんなんが嫁に」って。長野県挙げて、反対やったんですよ」と明かしています。
しかし、上沼恵美子さんは「でも、主人が守ってくれました」と話し、特にうるさかったという親族に対しては、「もう巻き手紙みたいなん書いてましたね。主人は。「彼女はこういう誤解を受けますけれどもテレビを見ていたら、こういうかわいいところもあって」みたいなのを。私は内容知りませんけれども、そういう長文をあてたんですよ」と、すると相手も「しゃあないなあ、ふん」としぶしぶ納得したそうです。
親族中に反対された結婚でしたが、大好きな人と結婚できた上沼恵美子さんは幸せいっぱいだったことでしょうね。
姉が先に結婚と引退をする予定だった
上沼恵美子さんは姉の芦川百々子さんとほぼ同時期に結婚、引退しました。
今はお二人ともそれぞれに温かい家庭を築かれているようです。
上沼恵美子さんより6つ年上の芦川百々子さんが先に結婚と引退をする予定だったそうですが、結婚は縁ですしわからないものですよね。
引退後わずか1年で仕事復帰
上沼恵美子さんは結婚後レギュラー番組13本全てを降板し、芸能界を引退しました。
しかし引退から1年、産後3カ月で芸能界に復帰しています。
その際に夫から出された復帰の条件は「仕事は東は滋賀、西は姫路まで」「歌は歌ってはいけない」「芝居をしてはいけない」「夫の年収を超えてはいけない」の4つが出されたそうです。
芸能界復帰は厳しい条件でしたが、上沼恵美子さんにとって芸能界は自分の居場所のひとつだったのでしょうね。
専業主婦が耐えられなかった
上沼恵美子さんは新婚当時、姑と同居していたそうですが関係がうまくいかなかったようです。
専業主婦のため、家にいる時間が長いことも原因のひとつでしょう。
上沼恵美子さんは専業主婦に耐えられず、引退から1年で復帰を決意したのかもしれませんね。
子供は2人
上沼恵美子さんは子供が2人いて、1978年に長男・上沼清太郎さん、1983年に次男・ゆじぇーろさんを出産しました。
長男の上沼清太郎さんは一般人ですが、上沼恵美子さんが所属する上沼事務所で働いており、次男のゆじぇーろ(本名は上沼裕次郎)さんは構成作家として働いているそうです。
上沼恵美子さんは息子達を溺愛しているようで、2人とも芸能界に関係する仕事をしていることは喜ばしいことかもしれませんね。
子供との関係は良好
上沼恵美子さんは子供との関係は良好のようです。
また、次男のゆじぇーろさんのお嫁さんも溺愛しており、2020年8月に放送された読売テレビ「上沼・高田のクギズケ!」では次男のお嫁さんについて「ものすごい美人」と話し、「指輪1つあげても、白魚の手だからあの子は似合ったんです」と絶賛していました。
子供との関係が良好なことは素晴らしいことですよね!
世間の声
まとめ
今回は上沼恵美子さんの若い頃と結婚前後について調査しました。
- 若い頃は漫才界の白雪姫と呼ばれていた
- 絶頂期はアイドル並みの人気を誇っていた
- 結婚を機に引退したが、1年で復帰した
上沼恵美子さんの若い頃は天地真美さんそっくりでとても可愛い人気漫才師でした。
一時はセミリタイアを宣言していましたが、いまやYouTubeにとどまらず、東京にも活動範囲を広げている上沼恵美子さんの更なる活躍を期待したいですね!