日本を代表する実業家の渋沢栄一さん。
渋沢栄一さんの正妻で尾高千代さんは2021年放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では橋本愛さんが熱演し話題にもなりました。
そんな気丈な性格だった尾高千代さんの生涯には一体どんなドラマが待ち受けていたのでしょうか?
目次
尾高千代とは?
名手の家に生まれた尾高千代さんは、父保孝さん、母やえさんの間に誕生しました。
母のやえさんは渋沢栄一さんの伯母のため尾高千代さんと渋沢栄一さんはいとこ同士となります。
幼少期から気丈で賢明な女性だった
尾高千代さんの実家は米穀、塩などの商売や、染料に使う藍玉の製造と養蚕、農業を営んでいました。
しかし、幼い頃に父を亡くした千代さんは母を助けるため畑仕事や家事などの力仕事にも励んでいてそうです。
そんな尾高千代さんですが、控えめな一方気丈な性格だったと言われています。
尾高千代は顔立ちがきれいで美人だった
女性関係が派手であった渋沢栄一さんの最初の妻となった千代さんは美人だったのではないでしょうか?
写真を見るときりっとした顔立ちで女優の橋本愛さんが演じるのも納得です。
渋沢栄一との結婚生活
生まれながらにして二人の縁は深いものでしたが、結婚生活は波乱万丈でした。
時代の荒波のため平穏な結婚生活とは言えないものになります。
渋沢栄一と尾高千代はいとこ同士
千代さんの母と渋沢栄一さん父が姉弟ということで、いとこ同士であったふたり。
またふたりは千代さんの兄惇忠さんが開いた私塾「尾高塾」で同じ門下生として学問を学んでいました。
17歳で結婚。新婚時代から別居が続く
結婚の翌年、世間では尊王攘夷の機運が高まります。
夫の渋沢栄一さんも尊王攘夷の活動に参加し、家を空けること多かったため尾高千代さんは主人に代わって家を守っていました。
尊王攘夷の活動が激化する中、渋沢栄一さんは渡仏し、離れ離れの生活が続きます。
そんな中でも渋沢栄一さんから尾高千代さんへ「心変わりしないでくれ」という懇願の手紙を送っています。
平穏な夫婦生活とは言えませんが手紙で二人の絆を確かめ合っていたようです。
二人の子孫
尊王攘夷活動に奔走し家を空けることが多かった渋沢栄一さんですが二人には5人の子がいました。(2人夭折)
渋沢栄一さんと尾高千代さんの子孫をご紹介します。
長女・渋沢歌子(歌人・穂積歌子)
歌人で著作に『穂積歌子日記』『ははその落葉』『三日の大和路』があります。
婦人会活動も盛んで、大日本赤十字社や愛国婦人会の会員、慈恵委員慈恵会では幹事、出征軍人家族慰問婦人会では理事など数多くの活動に参加し「良妻賢母の鑑」と言われていました。
次女・渋沢琴子
幼い頃に母尾高千代さんが亡くなり姉夫婦に育てられます。
結婚後は慈恵医院婦人会に入って慈善活動を行い、皇后から上野慈恵病院常置幹事を任命されるなどの活躍をしていました。
長男・渋沢篤二
渋沢栄一さんが創業した澁澤倉庫部の倉庫部長に就任。
その後、欧米諸国を歴遊し制度や文物を視察し、帰国後には第一銀行検査役に就任。
渋沢家と第一銀行が出資し澁澤倉庫部が澁澤倉庫株式会社に改組されると初代取締役会長に就任しました。
しかし、女性関係のスキャンダルが明るみに出てしまい廃嫡。
澁澤倉庫取締役会長を一度は退任しますが、その後会長職に復帰しています。
孫・穂積重遠(法学家)
家族法の権威で「日本家族法の父」と言われます。
東京帝国大学法学部(現在の東京大学)を卒業と共に同大学講師に就任。
その後が渡米留学の辞令を受け、ドイツ・フランス・イギリス・アメリカと4か国へ留学。
欧米諸国を視察し、社会教育の重要性や婦人問題に着目をするようになります。
帰国後は教授となり、東京帝国大学総長の推薦により法学博士を授与されます。
その後、東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任。
勲一等旭日大綬章を受章。
孫・渋沢敬三(日本銀行総裁、大蔵大臣など)
東京帝国大学経済学部卒業。
若くして渋沢栄一さんから後継者として懇請され実業界に入ります。
横浜正金銀行、第一銀行を経て日本銀行総裁、大蔵大臣をつとめました。
一方で民俗学や漁業史を研究、学術団体を支援するなど、文化人としても活躍しました。
死因はコレラ
夫の渋沢栄一さんを支え続けた尾高千代さんですが1882年に当時流行していたコレラに感染してしまいます。
そして同年7月に42歳という若さでその生涯の幕を下ろします。
この年は、長女の歌子さんが結婚した年でもありました。
世間の声
まとめ
今回は日本経済の父、渋沢栄一さんを支えた尾高千代さんをご紹介しました。
- 尾高千代さんは幼い頃から気丈な性格で働き者だった
- 渋沢栄一さんとはいとこ同士
- 新婚当初から家を不在にする渋沢栄一さんに代わり家族を守った尾高千代さん
- 渋沢栄一さんと尾高千代さんの子孫も社会で活躍していた
- 尾高千代さんはコレラに感染し42歳で亡くなってしまう
いかがだったでしょうか。
渋沢栄一さんの活躍の裏には気丈に家を守り帰りを待ち続けた尾高千代さんの存在が大きかったのかもしれません。