2021年8月8日、サッカーファンに大きな驚きのニュースが入ります。
それは、サッカーJ1のヴィッセル神戸がドイツブンデスリーグのクラブチーム、ブルーメン所属の日本代表FW大迫勇也を完全移籍で獲得したと発表しました!
鹿島に所属していた2013シーズン以来、実に約7年半ぶりの国内復帰となります。
あの「ハンパないって」の大迫選手のプレーをより身近に見に行けることがとても嬉しいです!
大迫選手は他のFWと比べると、あまり得点していないよね。
それなのにどうして評価が高いの?
チームにとって、大迫選手は攻撃の起点であり、バリエーション豊かにチームを連動させ、攻撃へ導くことのできる、いわゆる攻撃の際の縁の下の力持ちのような存在なんだ!
[/word_balloon]大迫選手は得点だけではなく、その抜群のキープ力でチームを牽引する万能型のポストプレーヤーとして高く評価されています。
ここでは、そんな大迫選手についてプロフィールと、学生時代から現在までを調べてまとめてみました。
目次
プロフィール
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名前:大迫勇也(おおさこゆうや)
生年月日:1990年5月18日生まれ
出生地:鹿児島県加世田市(現:南さつま市)
身長:182cm
体重:71kg
中学:鹿児島育英館中学校
高校:鹿児島城西高等学校
ポジション:FW
利足:右足
ニックネーム:サコ、さっこん
【チーム所属歴】
2009年~2013年:鹿島アントラーズ
2014年:TSV1860ミュンヘン
2014年~2018年:1.FCケルン
2018年~2021年:ヴェルダー・ブレーメン
2021年~:ヴィッセル神戸
プライベートはどんな感じなのかな?
[/word_balloon]実は人見知りで基本無口らしい。
[/word_balloon]小・中学校時代
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大迫選手は3歳から地元の「万世サッカースポーツ少年団」に入って、サッカーを始めていました.
「勇也にボールを持たせれば、なんとかしてくれる」
チーム内では信頼され、すでに中心選手として活躍していたそうです。
そんな中、大迫少年は小学5年生で、将来的なプロ入りを目標にしていました。
その頃から、体のことを考え、自ら炭酸飲料やカップラーメンを絶ったそうよ!
[/word_balloon]また、12歳のころには「サッカーで勝負したい」と母親に意志を伝え、指導者から練習環境まで自分でリサーチするようになったんだ。
[/word_balloon]その証拠に、中学校は地元を離れ、鹿児島育英館中学校の、まだできたばかりの体育コースに進学します。
大迫選手は一期生なので、上級生がいないのも、育英館中学に進学を決めた理由の一つだったそうです。
そこで厳しい練習にも耐え、自分でも毎日10km走ったり、食事にもさらに気を遣うようになりました。
地元の焼肉店では白飯16杯食食べたこともあるそうよ(驚)
[/word_balloon]練習前後の体感トレーニングやストレッチにも余念がなかったそうだよ。
[/word_balloon]そこでメキメキ頭角を現し、U-15日本代表に選ばれます!
ここでさらに大迫選手自身も、プロを強く意識するようになったそうです。
高校時代
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高校は2005年当時、サッカーで有名な鹿児島実業や神村学学園に並ぶほど急成長していた、鹿児島城西高等学校に進学しました。
鹿児島城西サッカー部の小久保監督も大迫選手の才能を買っており、高校総体県予選から早速、一年生の大迫選手を起用し始めていました。
途中交代でピッチにはいり、しっかり結果を出す大迫選手に相手チームの監督からも「そろそろでてくるぞ」と警戒されていたそうです。
順調に飛躍していった大迫選手ですが、高校2年のとき、2007年U-17日本代表メンバー落選という憂き目に遭ってしまいます。
そのとき、自分には何が足りないのか真剣に考えたに違いありません。
そのころから、小久保監督の指導の下、自分1人でやるプレースタイルから、仲間を使って自分も活かすプレースタイルを意識するようになりました。
その練習結果の集大成となったものが、2008年全国高等学校サッカー選手権大会でしょう!
この大会で大迫選手は10ゴール(1大会最多得点記録)、10アシストというとんでもない記録をうちたてます。
この年の大会は「大迫の大会」といわれるくらい
凄かったそうね。
あのフレーズ「大迫、ハンパないって」もこの大会で発言されているね。
[/word_balloon]残念ながら、この大会は決勝戦で敗れ、準優勝に終わってしまいましたが、この大活躍が大迫勇也選手の輝ける未来を決定づけたと言っても過言ではないでしょう。
鹿島アントラーズ時代( 2009年~2013年 )
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写真左から大迫選手、中田選手、小笠原選手です。
高校卒業後、Jリーグの6クラブからのオファーのなかから鹿島アントラーズを選びました。
選んだ理由は鹿島の練習内容がすごくて、激しかったところだそうです。
大迫選手も加入後は「練習のレベルが高く、ついていくのが精一杯だった」と当時を語ってました。
そんな環境で鍛えたことで2013年シーズンには自己新記録の19ゴールを挙げ、その年のJリーグベストイレブンにも選ばれました。
ブンデスリーグ時代(2014年~2021年)
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2014年、ドイツ2部リーグの TSV1860ミュンヘン に完全移籍しました。
加入当初、公式戦6試合で4ゴールと結果をだしたものの、チーム成績が低迷していきます。
その年に、ドイツ1部リーグの 1.FCケルン に移籍します。
ホームシックにかかり、不本意なシーズンもありましたが、2016~2017年シーズンはチームメイトとの2トップが型にはまり、その活躍で9月のファン投票のクラブ月間最優秀選手に選ばれました。
自身もリーグ戦7ゴール6アシストを挙げるなど活躍し、この年のUEFAヨーロッパリーグの出場権獲得に貢献しています。
2018年、ケルンが2部降格したことに伴い、ヴェルダー・ブルーメンに加入します。
前線の軸になるよう期待され、リーグ戦2節1ゴール第3節2ゴールと活躍しますが、第4節でふとももを負傷してしまいます。
約5週間後、復帰を果たしたのですが、思うようなプレーができずゴールもアシストも記録できない日々が続いてしまいます。
2020~2021年シーズンでは前線ではなく、中盤の位置で使われることが多く、大迫選手もリーグ戦24試合ノーゴールに終わり、チームも2部降格となってしまいました。
大迫選手は無口だから、ドイツのマスコミにあまりいい印象が持たれなかったみたい。
厳しくたたかれることもあったわ。
その度に大迫選手のことをよく知る監督やクラブ関係者は、大迫選手を庇ってくれていたそうだよ!
[/word_balloon]ヴィッセル神戸へ移籍(2021年~)
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2021年8月8日、大迫選手はヴィッセル神戸への移籍を発表しました。
会見で大迫選手は「いろいろな選択があったなかで、フォワードとして純粋にもう一回ゴールを取り続けたい。そしてチームを勝たせたい、という思いが強かった」と語っていました。
囲み取材でも国内復帰に迷いはなかったと明言しています。
FW探しが急務だった神戸の熱烈なアプローチが、大迫選手の入団に対しての気持ちを決意させたのでしょう。
そして23日に練習に合流したばかりにもかかわらず、25日にはアウェー大分戦に出場します。
ゴールこそ生まれませんでしたが、7年半ぶりのJリーグの試合で、さすがの存在感を示しました。
まとめ
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今回は、大迫勇也の学生時代から現在までをプロフィール付きで、以下のように調べてまとめてみました。
- プロフィール
- 小・中学校時代
- 高校時代
- 鹿島アントラーズ時代( 2009年~2013年 )
- ブンデスリーグ時代(2014年~2021年)
- ヴィッセル神戸へ移籍(2021年~)
ヴィッセル神戸での背番号は「10番」です。
待ち焦がれたFWの仕事を託され、モチベーションを高めている大迫選手の今後のプレーに期待ですね!!
クラブチームでも日本代表でも、自分の得意なプレースタイルでさらなる活躍を願ってます。
最後まで記事を読んで頂き、ありがとうございました。