有名な戦国武将の一人、黒田官兵衛。
豊臣秀吉に仕え、天才軍師として知られています。
2014年には、岡田准一主演でNHK大河ドラマにもなりましたね。
そんな黒田官兵衛の子孫が、現在不動産会社(如水興産)の社長として活躍しているとのこと。
歴代の子孫たちについて深く迫ってみました。
家系図
黒田官兵衛は、一夫多妻制の時代であったにもかかわらず、妻は生涯一人だけだったことで知られています。
黒田官兵衛の子孫たち
黒田官兵衛は、現在の福岡県である筑前国福岡藩の藩祖ですが、その嫡男・黒田長政が初代藩主です。
黒田家当主は、黒田長政を初代として現在十六代目となりますが、その中から5人を紹介したいと思います。
十六代目:黒田長高
黒田長高さんは、現黒田家当主であり、十六代目にあたります。
彼は明治学院大学卒業後、タイヤ販売会社、不動産会社などで勤務します。
その後独立し、自らが設立した不動産会社「如水興産」にて社長を務めています。
「如水」というのは、黒田官兵衛の称号のこと。
偉大な先祖へのリスペクトを感じますね。
十二代目:黒田長知
黒田家十二代目当主は、黒田長知という人物です。
彼は江戸時代、現在の三重県に生まれましたが、11歳の時に黒田家の養嗣子(家督を継ぐ養子)となりました。
その後家督を継ぎ、知藩事(現在の都道府県知事にあたる)を務めます。
しかし、その2年後、戊辰戦争出兵による財政難に苦しみ、藩当局が太政官札贋造事件という、いわゆる偽札作りをしていたことが発覚、彼は知藩事を罷免されてしまうのです。
踏んだり蹴ったりで同情してしまいますね。
そのからは、海外留学などを経験したのちに隠居し、学問や芸能関係をたしなみます。
重責から解放されて、第二の人生を謳歌したということですね。
ドロップアウト後の生活としては理想的といえるかもしれません。
そして、黒田長知は63歳で亡くなりました。
十代目:黒田斉清
黒田家十代目当主は黒田斉清という人物です。
彼は、生まれた年に当主であった父が亡くなったため、0歳にして当主の座を継ぐことになりました。
人生の始まり方としては、かなりのハードモードですね。
その後、黒田斉清は蘭学や本草学に精通する藩主に成長し、ドイツの医師であり博物学者でもあるシーボルトと交流も持ちました。
そのことから、人は彼を蘭癖大名と呼びます。
しかしながら、黒田斉清は幼いころから目の病気にかかり、年齢を重ねるごとに悪化していったそうです。
学問に熱心であるにもかかわらず、少しずつ目が見えなくなっていくというのは、きっととても辛かったでしょうね。
六代目:黒田継高
黒田家六代目当主、黒田継高は、藩祖黒田官兵衛、初代当主黒田長政の血統としては最後の福岡藩主となった人物です。
11歳の時に、宗家にして従兄でもあった当時の福岡藩主黒田宣政の養嗣子となります。
その後、黒田宣政の隠居に伴い家督を相続しました。
以来、福岡藩としては最長となる、50年もの期間、藩主を勤め上げることになります。
50歳まで生きられないことも珍しくなかった当時、そんな長期間当主の座を守り続けるなんて、きっと相当タフだったに違いありません。
その50年の間、享保の大飢饉後の窮民対策をはじめ、積極的な藩政改革に取り組み、福岡藩の発展に尽力した黒田継高ですが、実は一つ、悩みの種がありました。
それは、後継者問題です。
黒田継高は、自分の後を継ぐべき息子を亡くし、藩存続の危機に瀕していました。
そこで、彼は一橋徳川家から隼之助を養子として迎え入れ、家督を継がせます。
しかし、嫁がせた黒田継高の孫娘は、子を成す前に亡くなってしまいました。
こうして、黒田官兵衛から始まる黒田本家の血統は途絶えることとなってしまいました。
享年73歳と、とても長生きだった黒田継高ですが、その後継者候補たちが自分を残して先立ってしまうというのは、何とも皮肉な話ですね。
二代目:黒田忠之
初代藩主黒田長政の嫡男として生まれたのが、二代目当主となる黒田忠之です。
黒田忠之は、福岡藩の不名誉な事件を起こすきっかけとなった人物でした。
父・黒田長政の死後、彼の遺言により家督を継いだ倉田忠之ですが、たびたび問題行動を起こします。
わがままで派手好きな性格で、大型船舶「鳳凰丸」を建造し、幕府が禁止していた軍船を建造したと疑われる。
自分の側近を重用し、黒田官兵衛、黒田長政のころから仕えていた重臣たちと対立する。
上記のようなことが重なった結果、家臣の一人栗山大善により、黒田家が謀反を企てていると噓の密告をされてしまいます。
この事件は、黒田騒動と呼ばれています。
気に入らない上司を嘘のハラスメント報告で陥れる部下って、今の時代でも普通にいそうですよね。
結局、この件は事実無根として黒田忠之はお咎めなしとなりますが、幕府からの忠告もあり、その後は重臣の意見も取り入れるようになったようです。
さすがに少しは懲りたのでしょうね。
ただ、そんな問題児にも得意分野はあって、武将としての能力は高かったようで、天草島原の乱の鎮圧に大きく貢献しました。
そのあたりはさすが黒田官兵衛の孫といったところでしょうか。
世間の声
まとめ
黒田官兵衛の子孫5人を紹介してきました。
以下がまとめとなります。
- 十六代目当主黒田長高は、現在不動産会社「如水興産」で社長を務めている。
- 十二代目当主黒田長知は、財政難に苦しみ偽札作りをして藩主を罷免されたが、その後は海外留学や学問をたしなむようになった。
- 十代目当主黒田斉清は、蘭学や本草学に精通し、蘭癖大名と呼ばれた。
- 六代目当主黒田継高は、福岡藩で最長の50年間藩主を務めたが、後継者問題を抱え、黒田本家の血統最後の藩主となった。
- 二代目当主黒田忠之は、重臣たちと対立し、黒田騒動を引き起こしたが、天草島原の乱鎮圧に貢献した。
どの代の当主も、何かしらの分野で高い才能を発揮していますね。
今後も、天才黒田官兵衛の子孫が様々な分野で活躍を見せてくれるかもしれません。